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本ページでは、ユカタン地域とテルノの関係、テルノの歴史について紹介します。
Contents
Terno(テルノ)とは
Terno(テルノ)は、メキシコ合衆国南東部に位置するユカタン地域の民族衣装/晴れ着の一つ。同地域の民族舞踊であるJarana Yucateca(ハラナ・ユカテカ)の衣装としても用いられます。
名称はテルノですが、”traje de gala(トラへ デ ガラ、「晴れ着」)”や”traje típico de la mestiza(トラへ ティピコ デ ラ メスティサ、「メスティソ女性の代表的な/典型的な服(直訳)」)”とも言い表されたりします。
テルノの歴史
そんなテルノの始まりは、植民地時代より。*
(*Paz Avila (2015)、Rejón Patrón (2015)を参照。)
16世紀ごろにユカタン地域を征服したスペイン人によって、現地の先住民たちはヨーロッパからの文化的&社会的規範(政治システムや宗教、言語等を含む)に順応させられていったのですが、その中には衣服も含まれていました。
具体的には、女性にはウイピル(貫頭衣)やフスタン(ウイピルの下に着るスカート)、男性にはグアヤベラ(という名のシャツ)とズボン、帽子等を身につけるようにさせていたとのこと。
(参考までに、現代のものではありますが、ウイピルとグアヤベラの写真を↓。左側がウイピルとその下にフスタンを着ている女性。右側がグアヤベラ(シャツ)を身にまとっている男性。)
植民地時代はユカタンでも社会階級(社会階級別の分断)というのがはっきりしていて、着ている衣服もその階層毎に異なっていたのだそう。
例えば、特権階級に属していた白人(スペイン人)はヨーロッパの衣服を身につけ、一方でその下層にいたメスティソ(白人と先住民の混血の人)や先住民たちは伝統的な衣服(おそらく、先に述べたウイピルやグアヤベラなど)を着る、といった風に。
このような背景から、それぞれの階層の衣服というのは、社会的な(階級別の)分断を助けるものとして、またどの社会的階級に属する者なのか見分けをつける(区別する)ものとして、機能していたのです。
そんな中、19世紀の初めには、メスティソの女性(スペイン語だとmestiza(メスティサ)と言い表します。)たちの間で、先住民との身分や立場、属する社会的階級の違いを明確に表すべく、先住民とは異なる衣服を着ようとする動きが見られるようになります。
メスティソの女性たちが着るようになったもの、そう、それがテルノだったのです。
テルノと先住民が着ていたウイピルとの違いは、襟ぐりや裾、下に着るフスタンの裾にまで色とりどりで鮮やかな刺繍が施されていたこと。
そして、メスティサの女性たちはテルノを着るのに加えて、金で作られた豪華なネックレスやロザリオ(カトリックで祈りの時に用いられる数珠)、イヤリング等も身につけていました。(特に金のアクセサリーは、自身の地位を誇示する重要な役割を果たしていたとのこと。)
また、当時特権階級にいた白人たちが身につけていたヨーロッパの衣服をはじめとして、欧州の文化はユカタン社会の中でも「優美なもの、優れているもの」という認識がなされていたそうなのですが、先住民との区別をはっきりさせるためにも、そのヨーロッパの衣服の流行というのがメスティソ女性の着るテルノにも随時反映されていたそうです。
19世紀半ばから20世紀の初めにかけて、メスティソがユカタン社会において徐々に社会的地位を得るようになっていった頃には、社会階級毎の分断が徐々に薄まっていったり、資本主義の進展によって都市部でのウイピルを着用する人の数が減少していったり、ウイピルを着用するすべての女性をmestiza(メスティサ、「メスティソ女性」という意味)と呼ぶようになっていったりしたそう。
現在では、ユカタンにおけるマヤ女性もしくはメスティソ女性の伝統的な衣服として、
- 日常的に使われるもの:ウイピル
- 式典用の晴れ着として使われるもの:テルノ
という風に認知されています。
(だから、テルノが”traje típico de la mestiza”って呼ばれたりするんですね。。。)
少し余談ですが、「結婚式に新婦が着るテルノ」というものもあります。写真を見て分かる通り、普通のテルノと違う点は、刺繍部分も全て白い糸が使われているということ。また、チュールを使ったウェディングベールも、その際用いられるそうな。
(参照:http://www.merida.gob.mx/municipio/sitiosphp/merida/php/trajetipico.phpx)