メキシコ留学

2017年9月19日にメキシコで起きた地震について

まあ、まさか地震に関するブログ記事を2つ連続で書くことになるとは。。。
 
前回の地震の記事と同様、地震発生後の状況やメモ等をつらつら書いています。
 
f:id:masonenmexico:20170924124334p:plain

(Servicio Sismológico Nacional HPより。)

ご存知の通り、メキシコシティ時間の9月19日(火)13時頃、大きめの地震(M7.1)が起きました。画像赤枠が19日の地震の情報。もう一方は7日のオアハカ近くであった地震の方。

プエブラ州とモレロス州の州境にあるアソチアパンから南東約12kmの場所が震源。

地震発生時、私はUNAM(メキシコ国立自治大学)のCEPE(語学学校)にいました。
 
 

 

地震から4日経ちましたが、私、ホストファミリー、他の日墨生ともに、無事です。(ホストファミリーのおばあちゃんが、家屋からの避難中に怪我したけど、大事には至っていない。良かった。。。)
ライフラインも復旧して、いつもの生活に戻っています。(CEPEや大学は、来週の月曜日(25日)から再開。)
ただ、まだまだ余震の心配はあります。実際、今日(23日(土))の朝7時頃に地震速報鳴って、皆んな屋外に逃げたり、救助活動をしていた人達は一旦活動を中止してました。実際、メキシコシティでは揺れを感じなかったけど、オアハカでM6.1の地震があったみたい。7日の地震の余震とのこと。
 
 

 

今回(19日(火)の地震)は、9月7日にオアハカ近くが震源の地震の時とは異なり、メキシコシティでも強い揺れを感じましたし、シティ内でも建物の倒壊など大きな被害が見られました。
 
 

 

何と言っても、地震後電気止まりました。(道路の信号も動いてなかった。)スマホの電話回線&インターネットも繋がらなくなったので、日本の家族やメキシコの友達に安否の連絡しようとしてもできず、テレビやインターネット経由で情報も得ることもできなかったです。また、電気復活後に見た被害状況の大きさ(ぺしゃんこになった建物、市内至る所で煙が立っていたこと等)に結構驚いていました。
 
 

 

*ここで少し後悔したのが、「CEPEでまだwifi使える時に、日本の家族に一報入れるべきだった。。。」ということ。
(以下、その時の流れ)
地震直後「まだ日本時間深夜で誰も起きてないだろうし、家着いてからLINE送れば良いだろう。」という甘い考え。
徒歩で帰ってる途中に街中停電、電話回線&電話会社のネットがストップしていることに気づく。 =誰とも連絡取れない。
滞在先の家に到着、停電中で何もする事ないまま暗くなっていく。20時過ぎにとりあえず寝る。
24時に目が覚め、電気復活したことに気づく。案の定、日本にいる家族&友達からの安否確認LINEが溜まっていたことに気づく。
 

 

こんな感じでした。
 

 

これからCEPEのようなメキシコの語学学校や大学に留学する皆さん、地震がもし今後あって、自分が無事だった場合、日本時間深夜だとしても、とりあえず「地震あったけど大丈夫だよ!」って日本の家族や友達にメッセージ送っておいてくださいね!
 
 

 

 (電気に関しては、幸いなことに地震発生から約11時間後に復旧。しかし、地区や家によっては、地震発生翌日になっても復旧しないところもあった。私のホストファミリーの兄弟宅も、電気が使えないために、地震発生翌日の夜まで、私の滞在先の家に来てました。)
 
 

 

地震の後、地下鉄も止まったので、CEPEから家までは、他の学生と一緒に歩いて帰ってきました。地下鉄やメトロブスが止まった影響から、多くの人が徒歩又は車で帰っていたので、歩道・車道ともに歩行者&交通量多かったですね。本来車しか通れない道も、人が歩いていたり。(かくいう私もそう。)
帰る途中、マンションやアパート等、高い建物の周りに立ち入り禁止のテープが貼られたり、実際それらの外壁が少し崩れていたり、建物の中が危ない若しくは入れないからか、外に出て座り込んでいる人もいました。
 
 
 

 

(その他気づいた事&感じた事)

 

・停電の影響でしょうか、コンビニ(OXXOやセブンイレブン)やチェーンの店(ピザ屋、ドラッグストア等)は地震後閉まってました。なので、ローカルな商店にかなり人だかりできてました。(ローカルな商店は、地震直後も営業を続けているところが多かった。)
…地震の翌々日外に出てみたら、チェーン店は開いているところ、閉まり続けているところ色々でした。
 
 

 

・UNAM及びその周辺、CEPEへの留学生が多く住む地域は、比較的被害が少なそうでした。実際、UNAMがある場所は地盤が強いと言われています。(建物の耐震性は別だから、薬学部や大学の中央図書館等が影響を受けているけれども。)一方、建物の倒壊や大きな被害が目立ったのが、市内中心部。市内中心部はかつて湖があった場所で、地盤が弱く、地盤沈下も激しい、地震が来ると危ない場所、というのはよくこちらの人が言っています。
 
 

 

・実は、1985年にメキシコシティでM8クラスの地震があった日が9月19日(今回の地震と偶然にも同日)で、CEPEや市内の学校、会社で当日午前11時から地震の避難訓練が行われていたばかりでした。(歩いて帰ってる途中やCEPEで、色々な人が「32年」の言葉を呟いていたなぁ。)
 
 

 

・UNAMや市内の小中高、大学は休みだったのに、使用する建物の安全が確認できたから(?)か、9月21日(木)から授業再開しようとしたCEPE。
…実際、地震の影響を受けていた先生、生徒もいたため、休講になったクラスもあったりしました。(私のクラスは通常通り授業があった。)
他のクラスでは、小さいお子さんをお持ちの先生が、(小学校が休校で、預ける場所が無かったため)クラスに連れて来なければならなかったり、「UNAMは、21日(木)が休みという連絡を流しているのに、何故CEPEは授業があるのか。」とCEPE職員に訴えた学生がいたり、色々とあったみたい。
結局、その日は11時まで授業があって、その後職員から全てのCEPEの教員&生徒に「今日の授業中止。新しい連絡が公式HPやFacebookページで無い限り、25日(月)まで授業は休み。」と連絡が来ました。(結構、UNAMとCEPEで震災後の対応が異なることが多い。。。)
 
 

 

・震災に伴い、有料高速道路が無料に、電話会社もメキシコ国内に限り電話回線の利用(確かネットもそうだった気がする)も無料になっていました。
地震発生翌日の20日(水)から動いていたメトロも無料に。

f:id:masonenmexico:20170924125653j:plain

(メトロの改札。改札口のメトロのカードをタッチする部分に紙が貼られ、改札ではなく改札横にある開きっぱなしになっているドアから入るよう促しています。)
 

f:id:masonenmexico:20170924130115j:plain

(駅ホーム側から見た改札。入口側が塞がれてる。)
*追記 9月28日(木)から通常通り(有料)に戻りました。
 
 

 

・↑新日本の小島選手もTwitterに書いていたけど、こちらの人の震災復興に対する行動力の早さには、本当に素晴らしいな、と思います。ただでさえ、其々の家の電気や水道の状況が安定しない中で、沢山の人が地震発生の数時間後には交通整備しあったり、瓦礫の撤去の手伝いに行ったり。
 

地震の翌日には、瓦礫の撤去に加え、救援物資の収集や配布に多くの人が協力している映像を、何回もテレビで見ました。
現在でも、街中の色々な場所(レストラン、スーパー含む)で、「acopio」(ここでは、「救援物資を集める」の意味)の文字が見られます。
 

こちらは、倒壊現場にいる人達が、両手の拳を上に上げている様子。瓦礫の下敷きになっている人達の声が聞こえるようにするため、静かにするよう呼びかけるサインです。
 
 

 

・あとは、人の(繋がりの)暖かさも感じました。(いつも感じているけど、より一層。)「メキシコの人は皆んなそう!素晴らしい!!」というわけでは無いけど、少なくとも私のホストファミリーを見る限り、彼らの親族や親戚、友達同士の助け合いの姿が見られて、また、ホームステイしている私にも沢山声をかけてくださった。
(地震のストレスから疲れている様子も伺えたけれど、そんな震災後の大変な状況な中でも、私を家に居させてくれたホストファミリーには本当に感謝しています。)
 

 

少しだけ、2004年にあった新潟県中越地震の時(筆者中越出身です。)、同じ集落の人達で集まって、炊き出しを行なったり物資を配ったり、皆で同じ場所に集まって助け合ったり、寄り添いあったりした時のことを思い出しました。

 

 
以上、9月19日(火)の地震について色々述べました。

 

今後も余震に気をつけつつ、復興の為に出来ることを見つけて、実行していきたいな、と思います。
 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です